金曜の夜、空で球を蹴るのを見る

 春眠暁を覚えずなんて言いますが、宵のふけるのをさえ覚えない私は、がために日中は常にまぶたが重いのです。近ごろはすっかり春めいて日なたは暑いですねなどと思っていると夕には急に気温が下がって、かなんよもうなどと独りごちる、そんな日々でございます。

 

 さてセパタクローというスポーツをご存知ですか?多くの人が思い描く、脚でやるバレーボール的なアレ、それです。セパタクローは日本ではマイナースポーツとして位置づけられるものですが、そのセパタクローを、渋谷O-EASTでDJ付きの派手な環境で見られるという何とも珍しい興業がございまして、そのvol.11回が去る金曜日に行われたので見にいきました。なにそんなのあるの知ってれば行きたかったよとおっしゃられる方、すみません、告知ができずに当日になってしまいまして、今度また是非。

 

 このイベント、名前を「蹴」といいましてこの春で5年目を迎えるのですが、私が出会ってからも既に3年と、その歴史は浅からぬ月日を数えるようになってきました。知人からこんなイベントあるよって教えられ、へえセパタクローってあの、セパタクローでイベントやるなんて面白いじゃないの、とか思っていたわけでありますが、ホームページを見て驚き至極、これは何やら凄いことだぞ、と。その時読んだのがこちらの記事でして、イベント産みの親である矢野さんという方のインタビューが載ってます。

 

 後から聞いた話ではありますが、マイナースポーツの常として、競技環境は決して恵まれない中、日本代表といえども遠征もユニフォームも自費で調達、海外遠征があれば仕事を休んでいかなくてはならないので就ける職業も限られていて、そんな中でもセパタクローというスポーツが好きで、日本のセパタクローをもっと高いレベルに上げようという気概で続ける人がいて、試合で結果を出せば何かが変わると思って世界でメダルを獲って、何かが変わるのを期待したけど何もかわらなかった。打ち破った壁の向こうに更に壁が待っていたこと。その絶望たるやかなりのものでしょう。やってもやっても変わらない状況に、続けていくことが難しくなった人もいたことでしょう。それでも続けていくことを選択した人たちがいたということなのです。何かを変えるためにやれることを模索して、模索して、新しい何かをひねり出した人たちがいたんです。

 

 世の中、面白いことをやる人たちがいます。中には、才能や人脈や資金など持てるものを上手につぎ込んで新しい何かを作り出す、そんな面白い人たちがいますが、その一方で窮鼠も猫を噛むように追い込まれた中で放ったパンチで、窮状を力づくで変えてゆく剛毅な者もあり、それはそれで何ものにも変え難い魅力をもっていたりするものでして。そんなセパタクローの世界も、このイベントが産まれて以降、少しずつ何かが変わりつつあると聞き、この3年間を傍から見ていた者としても幾許かの戦慄は禁じ得ません。ともあれ、間違いなく現在進行形である日本のセパタクローは注目してしかるべきかと思いますよ。