熱いのが隙

先日、といってもひと月ほど前になってしまいますが、夕時の帰り途に灯油の香りを初観測いたしました。どうしてこうも、嗅覚というのは鼻からはいった感覚をひとおもいに脳髄の知覚の部分に運ばんと、思い出の書棚を寄り道して忘れていたようなナニを引っ張りだすのでしょうか。石油ストーブというものを使わない生活が永くなってきたこともあり、灯油の香りが連れてくる思い出も射程距離がある程度長い、さしずめ熟成がほどよく効いたものになってくるわけで、不意に帰路で浴びせられる思い出には心をさらわれることもしばしばでございます。
 

さて小学生の時分、クラスの男児の間で突如としてベーゴマが流行ったことがありまして、僕らも「生まれは昭和、育ちは平成」な世代ですから、当然ベーゴマなんてものは僕らの世代からしても所謂むかしおもちゃでございます。どういった経緯でベーゴマブームがクラスにもたらされたかはすっかり忘れてしまったものの、休み時間に教室の後ろで紐をまきまき、ブン投げブン投げしていたわけです。平成男児の心をがっちり掴んだのは、何しろあの、ベーゴマのプリミティブさでございまして、武蔵丸とか若花田とか当時の人気力士の名前が彫り込まれた逆円錐の鉄塊を紐一本で操れることは男児のマチズモをくすぐるものでして、その、フィジカルに直結した遊びの体験はゲームボーイなんかじゃ満たされないものだったのであります。
 

自分も若花田のベーゴマを愛用しておりまして、そのコマを手に入れてからは上手く廻せるように特訓の日々、家に帰ってからも巻いては投げ、巻いては投げを繰り返しておりましたが、何しろリビングのフローリングで廻しているあたり、大人になってみれば狼藉千万、大概なやんちゃなわけで、投げ損なえばあらぬ方向に鉄の塊が飛んでいくわけです。壁にぶつかり、扉にぶつかりしたりして、それはもう大人が肝を冷やしていたはずですが、季節はちょうど冬、コマのぶつかる相手の一つに石油ストーブもございました。鉄の八角形の角がストーブのボディに当たりかんかんと音をたて、その口から中を覗くと青白い炎が見えていて、その前にうずくまっていると半ズボンの脚の皮膚の一番表の部分、炎の前にいることでのみ得られるようなひりひりした熱射の感覚。それもまた火を肌で感じる原初の感覚、そうこうしている間にシチューができていたりするのが冬。